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実は「大間違い」の田園都市線、通勤地獄を産んだワケとは

田園都市 。「都会の利便性と地方の環境を両立した暮らし」…まさに現代人が求める生活スタイルの1つです。実は100年以上前、コンパクトシティの発想が生まれるはるか昔から、この生活を実現しようと考えられてできた街があります。

それが、「田園都市線沿線」です。少し正確に付け加えると、川崎市の「梶が谷」から大和市の「中央林間」までが該当します。東急は、この区間をパラダイスみたいな街にしようと、構想から100年にわたり開発を続けて来ました。

さて、パラダイスと聞いて、きっと画面の前で「ありえん」という顔をされたサラリーマンや学生さん方も多いと思います。なにを隠そうコロナ前まで「屈指の混雑路線」というレッテルを貼られ、しょっちゅう遅延します。街の完成度に対し、基幹交通があまりにも脆弱なのです。

さて、なぜ田園都市線は通勤地獄と化したのでしょう?今回は「田園都市線の大誤算」をテーマに、書き進めます。

田園都市 構想とは

同地は路線名にも使用される「田園都市構想」にもとづき設計されてきた過去があります。そもそもこの田園都市ってなんでしょうか。

田園都市は1898年にイギリスで提唱された考え方で、都市の経済性と農村の生活環境を両立した暮らしを目指そうという運動です。キャッチフレーズは農村と都市の「結婚」でした。

発案者のEbenezer Howard(1850~1928)

そのなかで言われていたことを噛み砕くと、
「3万人程度の職住近接かつ自然あふれる街で暮らそう」
「土地は公有で、賃貸住宅主体にして建設費は家賃で回収しよう」
「なるべく自給自足しよう」
というもの。この思想を活かし、イギリスのレッチワース、ウェリン・ガーデン・シティなどの街が相次ぎ完成しました。

この考え方、昨今になり、改めて見直されていると言えます。たとえば「テレワーク」は職住近接の究極系と言えます。コワーキングスペースなども発達が続きます。

賃貸主体という部分も「持たない暮らし」として評価され、自給自足や自然重視の暮らしは「地産地消」「ロハス」として2000年代に大いに盛りあがりました。

当時としては先進的な考え方だった田園都市構想。これは、まもなく1万円札の顔になる渋沢栄一に、大いに影響を与えたと言われています。

勘違い…田園都市がベッドタウンに

さて、イギリスの田園都市文化は日本に輸入されました。さっそく1918年に計画開始し、東京の洗足で1922年、開発が始まります。

しかし、ここで誤算の1つ目。

日本版の田園都市は、当初提唱されていた概念とは全く異なり、職住近接でもなければ賃貸住宅主体でもありませんでした。住民は仕事をするために住民は鉄道に乗り、都心へ向かうことになります。また分譲住宅に住み、ローンで家を買うのが当たり前となります。

また、誤算の2つ目。

田園都市は、洗足も後述する田園都市線沿線も、東急が開発を受け持つことになります。公的資本の注入もあったようですが、主体はあくまで東急。そのため当初の田園都市構想と異なり、鉄道会社が収益をあげるためのニュータウン、ベッドタウンとしての色合いが急に濃くなっていきました。

いちおう、自然と都会的な暮らしの両立という観点では田園都市っぽくなっていました。そのため人気を博し、この日本版・田園都市構想は、本題となる多摩田園都市に繋がります。大きな勘違いをそのままにした状態で。

舞台は田園都市線沿いへ

田園都市構想の舞台は戦前から戦後にかけて多摩地域へ移ります。この記事では田園都市線沿いにフォーカスして見ていきます。

もともと田園都市線のうち、渋谷~溝の口までは「玉川線」として戦前に開業しました。まず渋谷から二子玉川までが1907年に、つづいて二子玉川から溝の口までは1927年に完成。このときは路面電車が走っており「玉電」と呼ばれていました。主に多摩川の砂利を運ぶのが目的でした。

現在の田園都市線につながる実際に計画が動きだしたのは1959年です。その背景には、戦後の強烈な住宅不足がありました。時代はまさに高度経済成長期で、人口そのものの増加と東京地域への人口流入が一気に起こり、10年で人口は500万人増加。問題となったのは深刻な宅地不足でした。この地域はそうした中で重要な宅地供給エリアだったのです。1966年には長津田まで路線が伸び、1984年に中央林間まで全通しています。

田園都市線の誤算

さて、田園都市線沿線の開発が進むたびに、当初の田園都市構想と田園都市線のギャップは大きくなっていきます。

振り返ると、本来の田園都市は住宅と職場が同じ場所であり、自然に溢れ、分譲住宅主体で、自給自足を目指すものでした。

しかし現実として、いま田園都市線で起きていることは
・自然は都心と比較すればある方
・はるばる渋谷まで満員電車通勤
・密集した分譲住宅地
・東急が荒稼ぎ

なぜでしょうか?

誤算1 渋谷中心のまちづくり

田園都市線の大きな間違いは、渋谷を拠点とした街づくりを掲げたこと、東急電鉄が主導したことの2点にあります。この2つの要因は複合していると言えます。

そもそも本来の田園都市構想は、職住近接がテーマです。各駅にオフィスがあり、工場があり、商業施設があるのが理想形です。それが難しいとしても、例えば溝の口、鷺沼、青葉台、長津田などに小さなオフィス街を構え、企業を誘致することはできたはずです。

これをしなかったことにより生まれたのが通勤地獄です。中央林間から渋谷の隣である池尻大橋まで、大半の乗客が渋谷を目的地もしくは経由地として電車に乗るようになったことで、2019年度の田園都市線混雑率は185%まで高まりました。

誤算2 東急主導のまちづくり

しかし、東急は渋谷にそのリソースを集中投下してきました。現在の渋谷を見れば、その様子はあきらかです。渋谷スクランブルスクエア、渋谷ヒカリエ、渋谷ストリーム、渋谷フクラス、パークコート渋谷 ザ タワー、その他現在進行中の再開発プロジェクト、ありとあらゆる方面で東急は首を突っ込んでいます。

結果的に朝晩の混雑は殺人的なものになり、開通当初2両だった列車は4両へ、そして10両へと伸びますが、それでも混雑は減りません。6ドア車を導入し、朝の急行を廃止し、時差通勤を推奨し、コワーキングスペースを整備し、大井町線を7両にして…涙ぐましい努力を重ねても、抜本的な解決には至りませんでした。

幸いだったのはコロナ以降、IT企業が集中していた渋谷は比較的テレワークへの移行が進み、混雑率がガクリと落ちたことでしょうか。

それでも、東急主導により、本来街に投下されるべき収益は東急の懐に入ります。沿線の方の中には東急が分譲した家に住み、東急で通勤し、東急のクレカでTokyu Storeで買い物をし、東急が100%の株を持つイッツコムでネットをし、週末は渋谷や二子玉川、南町田グランベリーパークで買い物をするライフスタイルの人もいるのではないでしょうか。

まとめ

東急が主導した田園都市構想は、結果的に田園都市線の大混雑と、東急無しで成り立たない街の形成につながっていきました。

近年では二子玉川、ついで南町田の再開発が進んでおり、渋谷一極集中は徐々に緩和していくような動きを見せています。鷺沼の再開発もぼちぼち始まろうとしています。鷺沼では職住近接のニーズを実現する複合商業施設の建設が公表されています。

それでも「渋谷を世界一の街に」と息巻く東急。同社が標榜する「美しい時代へ」にたどり着けるのか、注目したいところです。

参考

https://www.toshiseibi.metro.tokyo.lg.jp/keikaku_chousa_singikai/pdf/tokyotoshizukuri/3_02.pdf

http://www.midori-net.jp/mame/keyword/1205.html

https://www.blue-style.com/area/tokyo/shibuya/

https://www.townnews.co.jp/0201/2023/01/01/657508.html

https://toyokeizai.net/articles/-/236835

https://news.railway-pressnet.com/archives/18165

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  1. […] は「田園都市」ではない!? 誤ったまちづくりが生んだ通勤地獄https://compact-city.com/denen-toshi/ […]

  2. […] 過去の記事で指摘しましたが、東急田園都市線は事業として見れば大きな成功を収めた路線ですが、仮に上記の「田園都市構想」がお手本だった場合、まちづくりとしては失敗作です。 […]

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