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福島再開発その3:郡山市編 空き地だらけの都会にどんな未来図を描く?

前回は福島市について特集しました。今回は福島市よりも経済的に発達している、郡山市についてまとめていきます。

郡山市は工場・病院などの跡地が点在しており、また青空駐車場などの低未利用地も多い土地。そこにデベロッパーや建設会社が次々と高密度な建物を建設しており、まさに再開発ラッシュが来ている場所です。

その一方で、街の方針はゆるく、足並みが揃う印象は全く見えません。この街は将来、どんな街になってしまうのでしょうか。調べてみました。

郡山の歴史

郡山駅

郡山は今でこそ福島を上回る経済・人口の規模ですが、明治までは静かな宿場町としてほそぼそと歴史を紡いできました。

転機となったのは1877年の「安積開拓」です。このプロジェクトで西の猪苗代湖から郡山まで水を引き、3年かけて肥沃な土地に作り変えました。

結果として100年前の1924年には「郡山市」となり、産業も発達、新幹線の駅もでき、現在にいたります。

そのため郡山は明治から都市になった、県内の他の都市に比べ若い街だと言えます。

郡山駅周辺の今

郡山駅

そんな郡山、駅前には魅力的な建物が立ち並び、さらに再開発も進んでいます。

駅周辺は都会的で商業の拠点

駅周辺は賑わいを見せています。西口には駅直結で県内の一番高いビル「ビッグアイ」が2006年にでき、科学館やプラネタリウム、展望ホール、企業オフィスが入っています。

ほかに西口にはうすい百貨店、集合住宅などが並び、中心地から西側へ5~6キロほど市街地が広がります。市内には福島交通のバス網が広がっています。

駅の反対側は工業地帯

一方、駅の東側はかなり工業地帯です。物流拠点が並ぶ他、大規模な貨物ヤードと保土ケ谷科学工業の工場が目を引きます。

工業地帯を離れるとイオンタウンなどの商業施設が見られますが、西口に比べると雑多な街並み。さらに東に進み阿武隈川を越えると一気に山がちとなり、美術館を経て新興住宅地につながっています。

このほか、交通の便を活かしたハイテク産業の誘致、再生可能エネルギーの研究拠点など、未来志向のまちづくりを進めていることがわかります。

市内交通弱し、マイカーなしで生きれない

郡山市街

郡山の課題のひとつに未利用地の多さがあります。街の地図を見ていくと、駅を少し離れただけで地上駐車場などの低未利用地が続き、コンパクトシティ化を妨げています。駅周辺に駐車場が散在していることからも分かる通り、市内の移動は自家用車がメインです。

一応、郡山駅前から市役所に向けて、5~10分程度の高頻度で各バスが運行されており、決して交通が未整備ではありません。沿線の市役所、公園、「ザ・モール郡山」などの商業施設を結んでいます。

これが街の軸となると心強いのですが、系統はバラバラで、重要な施設が街中に散らばり、乗り継ぎが多発することから不便です。公共交通を軸にして郡山に住むと、何をするにもまず駅前に出て、そこから同じ方面へ引き返すような移動経路を強いられることもあります。

市内の駐車場を集約し、電車と乗り継ぎをしやすくした上で、バスを本線・支線に分けるといった施策や、バスをBRT化してパークアンドライドを推進するだけで、街は一気にあるきやすく、暮らしやすくなるのではないでしょうか。

しかし、現在の市長はコンパクトシティに疑問を呈しています。2020年、日本経済新聞のインタビューに「ここに来て限界が見えたのは、中心市街地に店舗や住宅などを集めてにぎわいを生むコンパクトシティーの考えだ。」と回答。『3密』を促しやすく、再考が必要であり、むしろマイカーが見直されていること、そして将来的に自動運転によって、コンパクトシティで解決すべき課題(高齢者の移動)も解決されると見ています。

そんなわけで、同市のマスタープランは、「郡山」の2文字を適当な他の自治体名に変えても成立しそうな内容でした。

駅前再開発がじゃんじゃん進む

そんな郡山市では、駅前への投資を強化しています。

市は2015年に都市マスタープランを策定し、駅前北西の「さくら通り」と駅前南西の「麗山通り」(はやま通り)を軸にした「歴史と緑の生活文化軸」を策定しています。

このあたりで2023年1月現在、動いている再開発は下記です。

星総合病院跡地

星総合病院跡地

駅北の「星総合病院」跡地はビル建設が進みます。東日本大震災から放置されてきた病院跡地に住宅や保育所が入る、7階建てビルが立つ予定です。

建物には高齢者向け賃貸としての住宅47戸、交流センターや乳児院、メディカル系の施設が入ります。設計は日建設計。駅から4分の好立地なので、間違いなく人気の施設になるでしょう。病院の資本が入り、子育て環境もさらに向上しそうです。

贅沢に空間を使っており、回遊式の廊下や気持ちのいい吹き抜けが目に入ります。完成が楽しみです。

旧寿泉堂綜合病院跡地

さらに好立地の旧寿泉堂綜合病院跡地も野村不動産によってタワマンが建つことが決まり、目下再開発が進んでいます。完成後は21階建てのタワマンに、146戸の部屋が出来ます。隣には「うすい百貨店」があり、駅も目の前、稀に見る好立地と言えるのではないでしょうか。

先述の星総合病院とあわせ、どちらも東日本大震災以降に放置されてきた建物を、国の補助金を活用してゴタゴタの末に建て替えたという経緯があります。立地の良さや元病院という看板があったおかげでなんとか再開発に至りましたが、もし魅力のない土地で再開発コストがペイできなかった場合、廃墟のまま放置されていた可能性があります。

また別の計画として、郡山駅の一つとなり「郡山富田駅」近くには病院など医療機能を集結させる「メディカルヒルズ郡山」という構想があり、震災の仮設住宅跡地を活用しようとだんだん動き出しが出始めているところです。こちらについてはコンパクトシティの本筋とずれてしまうため割愛しますが、どこかで纏めてみたいと思います。

一方で空き地が全然動かない

さてここまで郡山についてまとめてきました。一見すると順当に再開発が進んでいるように見えるかもしれませんが、一方で郡山の一等地は「広大な空き地が何にも活かされず残っている」「駅周辺ですら廃墟や青空駐車場が目立つ」という状態になってしまっています。

ここからは郡山の残念な空き地をいくつか紹介します。

豊田浄水場貯水池跡地

グーグルアースを見ると、郡山市街地のど真ん中に、ドーナツのあなのようにぽっかり開いた緑地があることがわかります。これが豊田浄水場貯水池の跡地で、2013年にその役目を終えています。

広さは6haあり、街全体でこの土地の活用法について議論が行われていますが、2023年時点でもまだ議論が続いており、合意形成に至っていません。小田原評定ってやつです。郡山のくせに。

2021年から2023年までに五回の意見交換会を実施しており、ある程度の方向性を定めようとはしています。10年経っていることもあり、早期の活用方策が打ち出されることを願います。

日東紡工場跡地

郡山市の空き地

またグーグルマップを見ていて気になったのは、駅から2キロほど離れた長者地区、安積黎明高校近くの巨大空き地です。調べてみると日東紡工場の跡地のようで、2018年に地元建設会社「金田建設」が取得しています。

具体的な開発計画は示されていませんが、驚くのはその広さ。隣接する広告よりも広く、推定2haはある広い土地です。学校や役所に近く、ビルを建てても商業施設を建てても、活気が出そうです。

ビッグパレット北の仮設住宅跡地

郡山の空き地

これについては市のHPやグーグル、ツイッターなどに全く情報がなく、コメントがほしいのですが、ストリートビューでは旧郡山市南一丁目応急仮設住宅がなくなっており、荒れ地となっていました。

具体的な面積はわかりませんが、かなりの敷地面積があるので時代が時代なら団地になっていそうな場所です。現在は臨時駐車場以下の扱いなのが残念。情報求む。

開発の足並みは揃わない

郡山に土地勘がある方ならもうお気づきかもしれませんが、現在開発の進んでいる2つの病院跡地再開発は、都市マスタープラン「歴史と緑の生活文化軸」から外れた場所にあります。

さらに、豊田浄水場貯水池跡地、日東紡工場跡地は更地になってから何年も経っており、都市中心の広大な土地をまったくと言っていいほど有効活用できていません。

ビッグアイの建設もゴタゴタだった

郡山駅

駅前のビッグアイも、建設当時はゴタゴタだったようです。詳細はウィキペディアを見ていただくとして、こんな流れでようやっと完成したという沿革を記します。

1983年 百貨店「そごう」誘致計画
1985年 当時の新市長が反対
1986年 そごう出店を白紙化、地権者は市を相手に訴訟
1991年 市と地権者間で8階建てビル再開発に再度合意
1992年 6つの百貨店が出店希望
1995年 不況のあおりで百貨店の出店が立ち消え
1998年 1986年からの裁判で市が勝訴(最高裁)
1999年 22階建てビルに計画変更し動き出し
2001年 落成。しかし民間向けの用地が売れず公費で補填

結果として高校や大学、市の施設にオフィスに商業施設にプラネタリウムと、機能をこれでもかと詰め込んだ福島県イチのビルとなったわけですが、結果だけを見れば約16年もゴタゴタしていたわけです。

そう思うと、駅前でこれだけ揉めるわけですから、市内の広大な空き地を市が主導して利活用できるのか、ちょっと不安になります。

なぜか活かされないビッグパレットふくしま沿いの線路

郡山市のビッグパレットふくしま

ビッグパレットふくしまという大規模な交流拠点があり、こちらも残念な感じです。

ビッグパレットふくしまは旧国鉄郡山操車場跡地を活用して1998年に完成した施設で、5,500人を収容できる展示ホールのほか、会議室やコンベンションホール、レストラン、駐車場があります。震災のときは避難の拠点としても機能しました。仮設住宅も近隣にできました。

この施設の残念なポイントは、真裏を東北本線が通っているにも関わらず、駅がないということです。郡山駅から3.5km、隣の安積永守駅からは1.3キロ離れており、駅の設置余地は十分にありますが、現状は郡山駅からバスに乗るか、自動車・タクシーでの訪問がメインです。

駅の設置は30億円ほどかかる大事業のため難しいことは承知ですが、「郡山富田駅」を2017年に作った実績もあります。できれば貨物ヤードをちょっと削って、「郡山南駅」でもできれば、町の暮らしはだいぶ変わってくるのではないでしょうか。

まとめ

郡山駅

非常に厳しいまとめかたになりますが、駅にポテンシャルがあり、再開発もあちこちで進む一方、行政はコンパクト化に興味を失い、再開発用の広大な空き地があちこちにあるにも関わらず10年単位でなにも進捗しない、こんな気力の感じない都市があるんだと驚いています。

前回の福島市のまとめを見る限り、県庁所在地が移転する気配はありません。また郡山市がだまっていれば勝手に人口が増えるような時代でもなければ土地でもありません。

市外の人間がとやかく言う事柄ではないのですが、具体的な案が出ては消え、出ては消え、さまざまなチャンスを逸している様を見ると、市政側にも市民側にももしかしたら「ビジョン」がない、あるいは非常に希薄になってしまっているのではないでしょうか。

先述のとおり郡山は歴史が薄く、観光は猪苗代湖など郊外にあることから、帰属意識や郷土愛があまり育まれないのかもしれません。これは城が残る会津若松市とは正反対です。

参考

郡山駅西の旧2病院取り壊し、行政頼みの10年越し再開発
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC233JF0T20C21A4000000/

福島・郡山市長「コンパクトシティーの再考必要」
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59929280T00C20A6L01000/

郡山市
https://www.city.koriyama.lg.jp/

ビッグパレットふくしま落成式典 「福島県 今日は何の日」
https://www.minpo.jp/news/moredetail/2021091690364

JR 東北新幹線・東北本線「郡山駅」に2025年、住宅・医療施設の複合再開発ビル誕生予定!
https://www.kenbiya.com/ar/ns/region/touhoku/5883.html

福島県郡山市の旧星病院の再開発、都市再整備の核に
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC1205A0S2A110C2000000/

郡山市の再開発事業と、地方都市にも積極的に攻め続ける野村不動産
https://www.sumu-lab.com/archives/22117/

福島交通
https://www.fukushima-koutu.co.jp/

郡山市の跡地利用は大丈夫か?
http://musoujin.cocolog-nifty.com/blog/2020/05/post-a6bb21.html

ABOUT ME
isuta
1995年生まれ。中学時代にブログを立ち上げて以降、ずっとライター。 東海地方出身。少年時代に親しんだ鉄道路線や百貨店が次々廃止になり、衰退を目の当たりに。地方を元気にする手法としてコンパクトシティを広めようと思い立ち、「日本をちいさく良くする」「日本をリユースする」をテーマに本メディアを鋭意制作中。

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