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しくじりコンパクトシティ:岡山県津山市はかつて「雄都」だったが

津山市。岡山の県北に位置し、県内3番目の規模を誇ります。この市では他市に先駆けてコンパクトシティを推進しましたが、芳しい評価を得られず「失敗」と言われることもあるようです。

この記事では、コンパクトシティを目指した津山市がどういった施策を行いなぜ失敗したか、どうすれば巻き返しを図れるかについて見ていきます。

津山の栄枯盛衰

津山城

津山市は周囲を山に囲まれており、市南部の津山盆地にほとんどの住宅が広がります。このことから、最初からコンパクトシティを形成しやすい土壌が整っていたと言えます。

「雄都」から衰退へ一転

そんな津山市はかつて「雄都」と呼ばれていました。東西南北の交通が交わり、全国の都市の中でも上位10%の繁栄を謳歌した時代もあったと言われています。

しかし人口は1995年をピークに、現在は1万人以上減少し、2020年に9.9万人と10万人を割りました。

またインターチェンジの出現で、それまで中心商店街が中心だった小売業販売額はロードサイド中心に移っています。これに並行して、中心地のDID地区の空洞化も進んでいると言われています。

鉄道も不便に、利用率0.4%

津山駅

鉄道を見ると、姫新線、津山線、因美線が乗り入れており、ターミナル駅としての役割を担っています。

しかし自動車の普及に連動するように各線が衰退。かつて複数本発着していた特急・急行の優等列車はなくなっています。2021年の1日平均利用者数は1526人。県都の岡山駅が48,982人、2番手の倉敷市駅が28,958人であることを比べると、その差は歴然としています。

市の交通手段別割合で「鉄道」は0.4%まで落ち込んでいます。

津山市のコンパクトシティ施策

アルネ・津山

津山市は、バブル期に「500mコアの街づくり」を掲げました。空洞化する市の中心部に都市機能を集約する、まさしくコンパクトシティ政策の王道を往く内容となっています。

コンパクトシティ施策の目玉が、「アルネ・津山」です。1999年、「津山市中心市街地活性化基本計画」にもとづき約300億円をかけて整備された複合施設です。百貨店の天満屋、専門店、コンサートホールが入った7.2万平米の施設と聞けば、バブルの香りを感じずにはいられません。

当初は、次世代のまちづくりだということで全国から視察が集まり、コンパクトシティのモデルケースであると言われてきました。

津山市はなぜ失敗した?

赤字

なぜ失敗したか?それは過大な投資に見合う収益が得られなかったことにつきます。

ここでやり玉にあがるのが、先述の「アルネ・津山」です。

しかしこの鳴り物入りの施設は、初っ端から赤字に悩まされます。最終的に306億円かけて整備したこの施設は、高すぎる開発費と、目標に達しない家賃収入により、大幅な赤字に。税金などによる輸血も行われましたが、結果として街における負債となってしまったようです。

参考文献でも取り上げた木下斉氏は「官製のみせかけの成功事例」と批判しています。

発想自体はなにも間違っていません。しかし街の将来規模に比べ、投資が大きすぎました。

作陽高校も移転し寒村へ転落

コンパクトシティ政策の失敗により、中心地の人口減少に歯止めがかからなくなり、2023年4月にはJリーガーを多数輩出してきた作陽高校が市街へ移転。作陽学園高等学校として倉敷市で再スタートを切ることとなりました。

コンパクトシティの土壌はある

津山駅

では現在はどのような取り組みがなされているのでしょうか。津山市は岡山駅からは列車で1時間半かかり、衛星都市として活かすのも難しい立地です。一方でもともと盆地に位置しており、街が無秩序に広がるリスクは低い場所。コンパクトシティの土壌はあります。そのなかでも、駅周辺と、吉野川を挟んだ対岸にある「アルネ・津山」を活かさない手はないでしょう。

今ある建物を活かした町へ

津山市の都市計画区域

市が2019年に公表した立地適正化計画では、「既存の都市施設や公共施設等の積極的な活⽤」など、大型投資に対する反省が見られます。今後中心地に行政・文化・医療・福祉・教育・商業などの施設を徐々に集約する計画を掲げています。

都市計画区域を見ていくと、駅周辺に商業施設を配置、そこから東西に工業地域を、北方に住宅地域を拡げています。漢字の「山」のような街の形です。

たしかにこの形であれば、北側に暮らす住民が、買い物にしろ、仕事にしろ、南下した上で商業地域・工業地域へ移動します。「J」あるいは「し」の字型の行動経路が見えてきます。

それであれば話は単純で、駅を通過型のターミナルに、山の字型に公共交通(ここではバス)を整備することで、コンパクトシティの骨組みが出来ます。

暴論・周辺住民を中心街と無理やりくっつけては?

津山市街地

例えば駅~ザ・シロヤマテラス~出雲大社美作分院~津山まなびの鉄道館の範囲をリノベーション特区(仮)に指定し、所有者と周辺住民をマッチングさせます。

マッチングの方法は、中心地の物件オーナーと周辺地区の住民が自発的にマッチングするのがベストですが、小中高・岡山大学・美作大学の生徒を物件オーナーとマッチングさせるという手もあります。

コンパクトシティ流「津山駅前留学」

そこで実際に課外学習として店舗に数週間~数年携わり、なんらかの商売をする。収益は物件オーナーと生徒(またはその保護者)で折半する。こういった、ある意味で「駅前留学」とも言える仕組みが回れば、周辺住民と中心地の住民間で接点ができ、お金をかけず、中心地に人を呼ぶことができるようになるのではないか、と考えます。

歴史を活かせば観光地化も?

またコンパクトシティの形成とはすこし趣旨が異なりますが、中心地の城東地区は「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されるほど、古い伝統建築を数多く残しています。

津山城には天守閣こそ残っていませんが、備中櫓などが復元されています。春には桜が非常に美しいスポットとしても知られるようになりました。

また駅近くには車庫と転車台が残っており、博物館「津山まなびの鉄道館」になっています。

こうした歴史と「ここでしかできない」体験を組み合わせさえすれば、観光客の誘致を目指すことは難しくなさそうです。新幹線と在来線をうまく乗り継げば新大阪から2時間半の距離で、日帰りの提案もできます。

http://www.gis.pref.okayama.jp/tsuyama/Portal
きらきらつやまっぷ

http://www.k-taniguchi.com/
市長 谷口圭三

https://toyokeizai.net/articles/-/68035
偽物の官製成功事例を見抜く5つのポイント

https://merkmal-biz.jp/post/37393
大型複合施設が「負の遺産」に 岡山県津山市はなぜ中心市街地の再開発に失敗したのか?

http://jfh0115.com/diary/2023040800018/
【コンパクトシティ“先進地”の悲しき末路とは】ある中間都市の失敗

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