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旧名鉄「岐阜市内線」を残していれば、岐阜は世界一のコンパクトシティだった

岐阜市内線を、みなさんはご存知でしょうか。

「私にはいまいち何のために作ったのか、意味不明な施設で訪れる人もいるのかいないのかわかりません」

岐阜駅前、「やすらぎの里」と名付けられた芝生広場。グーグルマップには、その存在意義を疑う投稿がされています。周囲をバスが駆け巡り、歩道橋からは見下され、くつろげないし視線が気になるじゃないか……

それもそのはずで、この広場には路面電車が発着する計画でした。路面電車の路線名は岐阜市内線。もしも現在まで残っていた場合、岐阜のコンパクト+ネットワークを強く支える存在になっていたはずです。この記事では、いつもとは趣向を変え、もし現代に路面電車が残っていたら?LRTとして岐阜にどのような活力をもたらしていたか?多少の妄想も込みでお楽しみいただけたらと思います。

岐阜市とは?ドンキすら逃げ出すレベルの衰退都市

岐阜城(稲葉山城)

岐阜の現状から見ていきましょう。

岐阜市を上空から見ると、北に長良川、南に木曽川が流れ、北東からは金華山などの山が迫っています。三菱UFJ不動産販売の集計によると、全国814自治体のなかで人口は53位、面積は619位。人口密度は高い部類に入ります。

岐阜の歴史は古く、すべて書いているとキリがありません。室町(戦国)時代からざっくりとだけ解説します。

戦国時代、岐阜は下剋上で成り上がった斎藤道三という武将が支配していました。しかし斎藤道三が亡くなると、織田信長が侵攻し、支配。「岐阜」という名前が新たにつけられました。

岐阜の中心だった岐阜城(稲葉山城)のふもとには城下町が広がっていました。織田信長が支配するようになると、歴史の授業に出てくる「楽市楽座」が発布。なかなか栄えていたのではないでしょうか。

江戸時代になると、城下町から2キロほど南下したあたりに中山道の加納宿がおかれます。この城下町と加納宿を結ぶラインが、岐阜の中心地となり現代に至ります。

明治になり、1887年には、城下町と加納宿との中間地点に旧岐阜駅ができました。現在のJR岐阜と場所は異なり、名鉄・各務原線の田神駅あたりにあったと言われています。

各務原は「かかみがはら」がポピュラー。ですが、「かがみがはら」「かかみはら」「かがみはら」でもOKという初見殺しの地名で有名です。

岐阜駅の移転を経て、1911年には路面電車が、1914年には各務原線が開通。戦中~戦後にかけて、鉄道網が最も充実した時代を迎えます。

高度経済成長期になると、繊維産業が盛んだった周辺地域は一大好景気を迎え、柳ヶ瀬は繊維の町として大いに栄えました。機械が一回ガチャっと動くと1万円儲かることから「ガチャマン景気」という名前がついたようです。

私はキーボードを1回叩いても1円儲かるか儲からないかだよ~ガチャマンしたい~

しかし国内の繊維産業が衰退に伴い、岐阜は名古屋のベッドタウンとなりました。駅から離れた土地に戸建て住宅が増え、徐々に中心地は空洞化していきます。百貨店が次々と姿を消していきました。名鉄、近鉄、パルコなど…

2020年11月に公表された「岐阜都市計画 都市計画区域の整備、開発及び保全の方針の変更」には、その現況が克明に書かれています。

・【市街】中心市街地では空き地・空き家が増加するなど空洞化が見られます。
・【市街】DID(人口集中地区)は、拡大をし続けていますが、DID 内の人口密度は低下しています。
・【商業】事業所数、従業者数、年間商品販売額は減少傾向にあります。
・【商業】地場産業であったアパレル関連の製造業は、製造品出荷額がピーク時の 20%以下まで減少し低迷を続けています。

商業施設が次々撤退し、挙句の果てには2020年にドンキが撤退しました。いまの岐阜はドンキすら逃げ出すほど、活気のない街になったのです。

岐阜市内線とは?名鉄の努力が市に潰された悲劇の路線

旧名鉄市内線

次に、岐阜市内線についてざっくりと解説します。

1911年に当時の美濃電気軌道によって、岐阜駅前から現在の市民病院のあたりまでが開業。その後路線を拡充し、最盛期の1950年代には、総延長は70キロを上回り、岐阜駅前から葉脈のように郊外への路線が伸びていました。西へ向かう鏡島線・忠節駅から郊外を結んだ揖斐線・揖斐線の黒野駅から分岐した谷汲線。長良北町駅を経て北へ向かう高富線・東へ向かう美濃町線。それぞれ、小柄ながらも健気に市民の足として活躍していました。

(ちなみに路面電車の駅は厳密には「電停」と呼びますが、この記事ではわかりやすさを重視して「駅」に一本化します)

しかし時代が流れ、モータリゼーション真っ盛りの市や県警の判断で、ノリノリで各路線が廃止されていきました。まず北へ向かう高富線、次に鏡島線が1960年代になくなり、80年代には岐阜城へのアクセス路線だった岐阜市内線の北区間である徹明町から長良北町が、2001年には谷汲線と揖斐線の末端区間、そして2005年には全線が廃止されました。

廃止理由については、昭和と平成で理由がやや異なります。共通するのは「交通の妨げ」であると言われたこと。とくに昭和時代は、バスや車を優先する政策から、道を塞ぐ路面電車は邪魔者扱いされてきました。

もちろん、理由があります。岐阜は他の路面電車が活躍する街に比べ、大通りが狭かった傾向にありました。広島など2車線+線路という配置が路面電車の通り道に多いパターンですが、岐阜は1車線+線路。そのため、全国的に珍しく、クルマが路面電車の線路に入っても問題ないというルールを定めていました。

本来は道の拡幅に投資されるべきなんですけどね…

必然的に、クルマが右折する際は線路に入り、右折待ちのあいだは線路内にとどまります。岐阜市内線が乗り入れる郊外区間は単線なので、市内線が遅れれば、すれ違い待ちをする必要のある他路線にも遅延が広がります。こうして慢性的な遅延が路面電車に発生し、乗客離れに繋がりました。

前面展望 名鉄岐阜市内・揖斐線 岐阜駅前 → 黒野 railtomoさん 2008年11月23日投稿
こちらのYouTube動画の、10分あたりを見ていただくとわかりやすいです。右折待ちのプロボックスに路面電車が足止めを食らっています。

名鉄としてはワンマン運転による経費削減、電圧の異なる各務原線への乗り入れによる駅への直結、乗りやすい低床車両の導入など、さまざまな手を打ってきましたが、駅にプラットフォームがなく自動車との事故リスクがあまりに高いことや、岐阜駅までたどり着けない、末端区間の本数が少ない、大正時代の車両が現役など、利便性の低さは最後まで残りました。

平成中期になると乗客の少なさから赤字が累積し、名鉄が撤退を表明。あわてて行政は存続への道を探りますが、事業承継に立候補したいくつかの企業は各自治体による鉄道への財政支援を希望していました。一方の各自治体は費用を肩代わりすることに難色を示し、2005年に廃止となったのです。

冒頭の岐阜駅前広場も、駅前広場の改装にともない路面電車とJRのアクセスを改善する目的がありました。しかし、工事の終わる前に路面電車が廃止されたことで、芝生広場に転用されたという経緯がある、いわくつきの土地だったのです。

長良線廃止が終わりの始まり

長良川

あくまで個人的な意見ではありますが、最も廃止してはいけなかった路線が長良線です。長良線はあくまで愛称で、本来は岐阜市内線の本線系統だったのですが、西の忠節駅方面へ向かう路線が後年まで運営されたこともあり、本記事では長良線で統一します。

長良線は、岐阜駅前から長良川を渡った長良北町駅までを結ぶ路線で、市役所へのアクセスのほか、柳ヶ瀬・岐阜公園・岐阜城・伊奈波神社・川原町・長良川観光ホテル・岐阜メモリアルセンターなど、観光・スポーツの拠点としておおいなるポテンシャルを秘めていました。

とくに金華山の麓にある「川原町」は、風情ある景色が残る観光地です。知名度こそ高くありませんが、埼玉の川越が「小江戸」と呼んでも許されるなら、川原町は「中江戸」くらいになってもいい雰囲気があります。

多方面に喧嘩を売るな。

しかし1988年のぎふ中部未来博開催にあわせ、「他の交通の障害だ」という理由で廃止に。交通を自家用車とバスにしぼり、円滑化する狙いがあったものと思われます。

未来博は73日間の入場者数が407万人と、予想を150万人も上回る好調な集客力で成功を納めました。しかし、彼らを会場に運んだのは、5分~10分間隔で走ったシャトルバス。岐阜の「未来」に路面電車が残っているとは、だれも思っていなかったのです。

もしも岐阜市内線が存続していたら

市電のある風景

さて、ここからは妄想記事なので、覚悟してお付き合いください。もし岐阜市内線が存続していたら?とくに、長良北町までの本線系統が生き残り、岐阜駅前まで線路が再びつながっていたら?を考えてみましょう。

軌道内の乗り入れを禁止、プラットフォームを用意し低床車両が往復

まず真っ先に取り組むべきは、路面電車の定時性・速達性を高めること。そして利便性を高め、通勤・通学・観光の足になることです。

そのためにクルマの乗り入れを禁止。右折レーンを道路の拡幅によって行い、路面電車の渋滞を極力抑える施策が打たれるでしょう。とはいえクルマ優先の行政ですから、東京や名古屋のバスレーンのように、平日7時から9時など、時間制を採用したと考えられます。

駅も公園前→岐阜城・川原町前、鵜飼屋駅→岐阜メモリアルセンター前など、外部からの流入を意識した駅名に変わります。また、880型の後継モデルを導入、高齢者でも乗りやすい低床車両に徐々に統一を図っていくことになるでしょう。

一方で親しまれた「丸窓電車」510型も動態保存され、鉄道ファンに向けた観光資源になっているはずです。

岐阜駅前~徹明町は自動車をなるべく排除

また、駅周辺は駅前広場の整備が完了した後、休日は歩行者天国化されていた可能性もあります。

自動車は一本隣の金華橋通りに集約し、岐阜市内線が走る区間の県道157号線(長良橋通り)はバス専用と、周辺住民や商業・物流に限定、回遊しやすい街を目指していたことでしょう。

バス路線は岐阜駅の改良とともに再編。(1)岐阜大学方面(2)市民病院方面(3)アクア・トトぎふ方面など、わかりやすく再編。岐阜市内線の駅間距離は400~500m程度なので、新駅を作る必要性は低いと思われます。

徹明町をターミナル化

徹明町で3方向に分岐する路線の性格上、外部から来た観光客やビジネス客に安心して利用してもらう観点から、徹明町に大規模な駅を設置できれば理想です。

たとえば徹明町交差点の上空に橋上駅舎をつくり、階段で安全にプラットフォームまで降りていけるようにできれば、かなり利便性は高まったと思われます。ただ路面電車の途中駅かつ併用軌道区間を橋上駅舎化した事例は自分の知る限りないので、現実化へのハードルは高そうです。

そもそも、前提条件が”もしも”なんだから、現実性を語るのは無駄なんだけどね。

岐阜市内線の岐阜~徹明町間は毎時5分程度の高頻度運転を行い、前回の「にいがた2km」のように街の背骨とします。そして徹明町から(1)忠節・黒野方面(2)岐阜城方面へ分岐。あわせて徹明町を起点に(3)野一色・関方面の始発が15分おき程度に発車していく…という具合の運行状況がよいのではないかと考えます。

ちなみに廃止直前の岐阜市内線は朝9分、日中15分ペースでの運行でした。また美濃町線は30~1時間ヘッドでのほそぼそとした運行状況。もしかしたら徹明町~競輪場前はBRT化されていたかもしれないですね。

徹明町周辺の再開発も

並行して岐阜駅から徹明町間には新規事業への融資や、事業承継の支援、シャッター商店街のリノベーション、アートのプロジェクトなど、魅力が高まる施策をいくつか走らせ、カフェや小売店を集めることで岐阜駅前の利用者を徹明町方面に誘導します。

柳ヶ瀬まで散歩したら岐阜城まで路面電車で向かったり、逆に岐阜城周辺の観光を終えた客が徹明町周辺、または長良川沿いのホテルに宿泊し、名物のタンメンや鮎料理、栗や味噌などの地元名物に舌鼓。翌日は下呂高山方面、名古屋方面へ向かうなどのモデルルートが示されたのではないでしょうか。

たとえば観光地として人気のある金沢市は繊維からハイテク産業、そのまま観光・商業の中核都市として脱皮を繰り返した歴史があります。岐阜にも繊維産業から観光へカジを切る機会があれば、いま以上に街は盛り上がり、修学旅行生や外国人観光客が訪れていたんじゃないかと、ついつい妄想してしまいます。

商業と歴史がてんこ盛りで、自然もいっぱいだしね。住み心地と観光のポテンシャルはもっと評価されるべき。

岐阜のコンパクトシティとしてのポテンシャル

金華山からみた岐阜

街を迂回するバイパスの整備や路面電車を悪者にした車中心のまちづくり、事業転換ができず衰退の一途を辿った柳ヶ瀬エリア、名古屋へのストロー現象、川や山の向こうへ突き進んだ開発や、観光地から廃止されていく鉄道など、岐阜市の失策には列挙に暇がありません。

しかし、岐阜はコンパクトシティを形成できる要素に囲まれており、令和時代以降のまちづくりにとって非常によい材料が揃っています。

・スプロールの起こりにくい、山と川に囲まれた土地
・駅と旧市街(柳ヶ瀬)が一本道の大通りでつながり、歩いて向かうことも可能な回遊性
・高密度な商業と住宅、公共施設と観光地
・名古屋経済圏という安定性

コンパクトシティがうまく成長する条件はいくつかあります。公共交通の充実、高密度な市街地の存在、行政の理解と主体性、住民の理解。路面電車があれば脱炭素、そしてカーボンニュートラルにかなり近いまちづくりを他の都市に先駆けて実現できたのではないかと思うのです。

このあたりは、LRTが新たに建設された宇都宮のLRTとは正反対です。

タワマンがぐいぐい生長中

実際、岐阜中心部でいくつもの再開発プランが動いています。すでに完成した建設プロジェクトは2つ。まず、JR岐阜駅前、2007年竣工の「岐阜シティ・タワー43」。岐阜で最も高く、住居部分には「スカイアークス」の名がついています。最上階は無料展望台になっており、岐阜駅、長良川、金華山など岐阜をタダで堪能できる特典も。市のホームページでは「すくってごらん、岐阜のダイヤモンド」という歯の浮きそうなキャッチフレーズがつけられており、岐阜シティ・タワー43がいかに岐阜市からの期待と羨望を集めた施設であるか、うかがい知れます。

岐阜シティ・タワー43と並んで目立っているのは、2012年竣工の「岐阜スカイウイング37」。住居部分は「ザ・ライオンズ一条タワー岐阜」と名付けられています。岐阜大学のサテライトオフィス、ビジネスホテルと大型駐車場があり、2014年度「グッドデザイン賞」を住宅・住空間部門で受賞しています。

そして、まもなく完成する予定なのがプレミストタワー35。これは昭和期から構想としてあった高島屋南地区の再開発で、2011年ごろから本格的に動き出しが始まりました。地上35階の建物に、住居「柳ケ瀬グラッスル35」をはじめとする各種施設が集まる予定です。日経の報道では22年4月の段階で6割の分譲マンションが売約しており、順調な滑り出し。「柳ケ瀬活性化の起爆剤」として期待が寄せられています。

また、「岐阜新聞」の看板が目立つ「岐阜駅北中央西地区」の再開発も、2022年2月に事業概要が示され、野村不動産によって32階建てのタワマンができる計画です。2025年に着工予定、2028年の完成を目指しています。

こうした、中心の空洞部分をうまく生かしたまちづくりによって、郊外で暮らす高齢者世帯などを中心部に回帰させ、都市のスポンジ化を少しでも食い止めようとする人たちの努力を垣間見ることが出来ます。これからさまざまなプロジェクトによって、岐阜の景色はどんどんと変わっていくでしょう。

叶うことなら、そこに路面電車の走る姿があればカンペキなんですけどね。路盤は完全に撤去され、車両基地はパチンコ屋になってしまったのですが、また復活した姿を見てみたいものです。

★都市データ★
岐阜県岐阜市
面積:203.60km2
総人口:398,326人
人口密度:1,956人/km2

参考資料

岐阜市公式サイト

垂井町公式サイト

岐阜ウォーカー

三菱UFJ不動産販売

高島屋南市街地再開発組合

岐阜駅北中央西地区市街地再開発準備組合

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  1. […] 岐阜市の路面電車の回でもちょっと触れましたが、各務原市は良くも悪くも岐阜県民らしからぬ適当っぷりが目立つ地名です。本来岐阜県民は真面目で、ビールはあまり飲まず、カフェ […]

  2. […] 旧名鉄「岐阜市内線」を残していれば、岐阜は世界一のコンパクトシティだった 「私にはいまいち何のために作ったのか、意味不明な施設で訪れる人もいるのかいないのかわかりません […]

  3. […] 気になるのは「ヒト」中心の街並みがどのように形作られていくかです。たとえば新潟ではITを駆使したオフィスが、岐阜では大規模なタワマンや商業施設の存在が将来像として描かれています。 […]

  4. 匿名 より:

    <岐阜市や隣接する自治体に郊外型大型商業施設が多い理由>

    時代の役割を終えた紡績工場跡地が非常に多い
    紡績工場跡地は数万㎡~十数万㎡の広大な面積があります
    進出したい企業からすれば1社を相手に交渉すれば良いわけですから
    こんなに大型商業施設進出に適した場所はありません

    店舗面積・テナント数  ※参考資料により差があります

    □ 本巣市  
    モレラ岐阜(7万5000㎡・240店舗)/都築紡績
    □ 岐阜市
    マーサ21(4万8000㎡・125店舗)/川島紡績
    カラフルタウン岐阜(4万7800㎡・125店舗)/トヨタ紡織
    イオン柳津店(1万7600㎡・28店舗)/太陽紡績
    □ 大垣市
    アクアウォーク大垣(4万0200㎡・135店舗)/オーミケンシ
    イオンタウン大垣(2万6000㎡・80店舗)/帝国繊維
    □ 各務原市
    アピタ各務原店(2万0000㎡・51店舗)/日本毛織
    □ 一宮市(愛知県)
    イオンモール木曽川(6万6000㎡・160店舗)/倉敷紡績

    紡績工場の跡地ではありませんが
    岐阜駅から6㎞の場所に岐阜県下最大の
    イオンモール各務原(7万7000㎡・230店舗)があります

    今年の秋には隣接する北方町にイオンタウンができます
    どこまで岐阜市を苦しめるんだって感じです

  5. 匿名 より:

    <柳ヶ選ドンキ>
    柳ヶ瀬のドンキは岐阜駅から北へ約1㎞
    2020年10月に閉店
    その7ヶ月前に同じく岐阜駅から南へ約1㎞のところに
    MEGAドン・キホーテUNY岐阜店がオープンしています
    新聞紙上では賃料が折り合わなかったと書いてありましたが
    自社競合になるので駐車場も店舗も広い後者を存続店舗にしたと思います

    <路面電車存続支援企業>
    いつの時点での支援によるかによって変わってきますが
    岐阜市は路面電車廃止(2005年)の1年前に
    当時全国最大級と言われた産業廃棄物不法投棄問題が勃発し
    元の形に修復するには100億円かかると書かれていました
    この問題の発覚によりほとんどの自治体との合併が潰れました
    これにより当時の岐阜市の最大案件は
    産業廃棄物問題と合併問題の処理となり
    路面電車廃止問題どころではなかったと推測されます

    <岐阜市の商業が衰退した直接の原因>
    郊外のイオンモール級の大型商業施設の数と名古屋への近さ

    地方の場合近くにイオンモールが1店舗できるだけで
    街中の商店街が衰退すると騒ぎになりますが
    路面電車が存続する都市との比較 (主要駅を中心に半径10㎞圏内)

    岐阜市/東西南北に5店舗 (2店舗は地方最大級)
    富山市/1店舗
    福井市/1店舗
    豊橋市/0店舗

    近くに大都市の有無
    岐阜市/名古屋までJRで20分
    富山市・福井市・豊橋市/無し

    書かれている内容が非常に的確なので
    驚きました

    • isuta より:

      非常に参考になるコメントを頂きありがとうございました。大型商業施設のデータについても、あたらしく学ばせて頂きました。今後の記事作成向けて励みになります。

      またお時間のある際にアクセスいただければ幸いです。

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